Everything But Nirvana: The Authentic Leadership Journey of a Japanese Buddhist, Shoukei MATSUMOTO

お寺づくりの哲学 / Philosophy of temple management

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松本紹圭です。今日はお寺の女塾を東京で開催しています。
私の僧侶としての所属寺である光明寺の本堂を会場としていますが、私が得度をした10年前には、将来このような場が持たれることなど、考えもしませんでした。10年でお寺の世界もずいぶん変わってきましたね。

思い返せば、私がお坊さんになって間もなくの頃、書き溜めたブログがダイヤモンド社の編集者さんの目にとまり、『おぼうさん、はじめました。』という書籍として出版されました。書籍タイトルは神谷町オープンテラス店長の木原健さん、オビのコピー「赤門から仏門へ」は現在「未来の住職塾」を一緒に運営している遠藤卓也さん、表紙イラストの観音像はみうらじゅんさんという豪華ゲスト陣の協力のもと、若干25歳の若僧にも関わらず本を出させていただく幸運に恵まれたのでした。

キャッチコピーには生意気にも「坊さんは職業じゃねぇ、生き様だ!」と書いており、若気の至り以外の何ものでもありません。当時、僧侶になったばかりでずいぶん肩に力の入っていた私は、これからのお寺づくりについても「逆説的に言うならば、住職の仕事は法を説くことというより、仏の働きを邪魔しないこと」などと、これまた生意気にも語ってました。

でも、未来の住職塾を初めてから「これからのお寺づくり」についてずっと考えてきて、今改めて、住職の仕事は本当に「仏のはたらきを邪魔しないこと」なのかもしれない思うようになりました。それも、以前と違って"逆説的に"ではなく、文字通りそう思うようになりました。

仏教(仏道)をブッダになる道、悟りを得る道、生死出ずべき道として考えれば、お寺はその道を皆が歩む場ということになります。ではその道を「誰」が歩み、「誰」が歩ませるのか。信者が歩み、僧侶が歩ませるのでしょうか? 歩む先に開けてくるのが自他一如の仏の世界であるとすれば、その道を歩むのは本当に「私」なのかどうか、あるいはその道を歩ませるのは「私の意志」なのか「仏のはたらき」なのか、問えるものでもないと思います。

お寺がそこにご縁を持つ人にとって本当に仏道を歩む場として開かれてくるとすれば、それは多分に他力的です。もちろん、ここで言う「他力」は他人の力ではなく仏のはたらきのことですが、お寺の宗旨が他力の教えであるとかないとかは関係なく、仏道の先が自他一如の世界である限り、お寺という場が仏道の場として顕われる仕方は、他力的にならざるを得ません。言葉の響きに違和感があるなら、仏力的と言ってもいいと思います。

そう考えると、お寺の住職の役割というのは、お寺という場に集う人たちに仏のはたらきが遮られることなく100%発揮されるよう努力すること、と言えるのではないでしょうか。これはおそらく宗旨によらず、広くさまざまな宗派のお寺に当てはまることです。未来の住職塾では、お寺におけるリーダーシップの発揮の仕方を「周囲のよい"縁"となること」であると表現しています。その意味で、お寺はその場に関わる一人ひとりが自らのリーダーシップを磨く修行の場であるとも言えます。

では、そのように仏のはたらきが発揮された修行の場を預かる住職のリーダーシップとはどのようなものでしょうか。お寺という場に参画するあらゆる立場の人が、自分の居場所と出番を見つけ、自らが周囲のよい"縁"となっている実感を持てるような状況が出現する。そのとき住職が発揮しているリーダーシップは、「自分」の存在への執着から離れ、仏のはたらきと一味に溶け合うような、無私のリーダーシップではないでしょうか。

私は未来の住職塾を始めてから、全国を飛び回りながら宗派を超えて様々なお寺とご縁を持たせていただく一方で、自分がご葬儀やご法事等で日常的に檀信徒の方と直に接する機会が減りました。お寺とのご縁は広がりましたが、お寺づくりの現場への関わり方という点では、これまでよりも間接的なものになるのかなという若干の寂しさもありました。しかし、これからのお寺づくりを「仏のはたらきが100%発揮される場が開かれるための営み」と考えるならば、その営みに参画する仕方には直接も間接もないのかもしれません。私は私なりにできる仕方でお寺づくりに関わればいいんだなと思い、気が楽になりました。

これからのお寺づくりは「みんなのお寺」づくりであると、未来の住職塾でお伝えしています。住職、副住職、役僧、坊守・寺庭婦人、寺族、総代、檀家、地域住民、葬儀社、石材店、仏具店、あるいは私たち未来の住職塾のようなお寺づくりのサポーター、それぞれの人が自分なりの仕方でお寺づくりに関わる中で、その場に仏のはたらきが顕われてきます。そこには誰の手柄であるとか、誰が偉いというような話の出る幕はありません。もしかしたら昔はそのような場が顕われたところに、お寺という名がつけられてきたのかもしれませんね。

あなたのお寺づくりの哲学、ぜひ聞かせてください。 

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Shoukei MATSUMOTO
>>Profile Born in 1979 in Hokkaido, after the graduation from The University of Tokyo, Keisuke Matsumoto has worked in Komyoji Temple Tokyo for 7 years. As a head of Young Buddhist Association of Komyoji Temple, he launched new initiatives like Temple Cafe Project and Twilight Music Festival. After studying MBA in India, he is teaching "Temple Management" in Japan.