Everything But Nirvana: The Authentic Leadership Journey of a Japanese Buddhist, Shoukei MATSUMOTO

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仏教は、束縛から人を自由にする教えです / Buddhism is teaching that gets people detached

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11月後半もいろんなことがありました。

お寺の女塾の開催、女子高での講演、お寺の過疎対策講習準備のため長崎の離島にあるお寺を訪問、蓮花寺佛教研究所の研究会に出席、リヴオンによるダライラマ法王猊下の講演会を聴き、大手企業のCFO/CIOが集うサミットでの講演、大阪大学の学生と講演・対話、京都・法然院の梶田住職と念仏会200回記念の対談、徳島での未来の住職塾1Dayプログラムの開催、The Economistに私の名前が掲載され・・・ いつもながらいろいろあった半月でした。

さて、私が研究員として籍を置く蓮花寺仏教研究所ではここ数年、共通の研究テーマとして「仏教と経済」を掲げて研究がなされていますが、歴史を訪ねても今ほど日本人の価値観における経済と霊性のバランスが崩れている時代はないのではないかと思います。そして、秘密保護法案など、気になる動きも活発化しています。内田樹先生が、「日本のシンガポール化」「国民国家の株式会社化」と表現されていましたが、その通りだと思います。今に始まったことではありませんが、ますます息苦しい世の中になってきました。

世の中が息苦しくなれば、宗教に光を見いだそうとする人が増えるのが世の常ですが、果たしてその求めに応じるだけの力が今の仏教界にあるのかどうか。実際のところ、お坊さんでさえ経済に負けてしまっている人が少なくないのではないでしょうか。住職として経済(娑婆を支配するシステム)を理解して適切な付き合い方を身につけることは大切ですが、経済に飲み込まれては元も子もありません。住職たる人の価値観が経済に負けてしまうことは、長い目でお寺の未来を考えても危険なことです。自らの本分を忘れて栄え続ける老舗など、どこにも存在しません。

お坊さんはのんびりとした人が多いので現状認識が甘くなりがちですが、お寺とそれを支える人たちを取り巻く環境は、年々厳しくなっています。こう言うと、お寺の財政の話かと思われるかもしれませんが、違います。霊性の話です。「お寺の未来が厳しい」と聞いて「なんだ、お寺の財政の話か」と誰もが反応するほどに、経済至上主義がこの世を覆っています。危機的状況なのはお寺の財政ではなく、私たちの霊性です。

小池龍之介さんの本に『「自分」から自由になる沈黙入門』がありますが、無意識のうちに自分で自分を縛って苦しむ人は本当に多いと思います。自分の日常を振り返ってみても人は無意識のうちにいろんなものに支配されていますが、現代社会の特徴は、その支配システムが複雑化・巧妙化して、人が支配されていることに気づかないどころか、そのシステムを応援する側に回ってしまっていることです。人が自分で自分を縛るように操作するシステムが強化されつつある時代こそ、お坊さんが最も頑張らなければならないと思います。

仏教は、束縛から人を自由にする教えです。

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In November I was very busy with full of events, such as seminar for women in temples, lecture to high school girls, temple visit in rural Nagasaki, study meeting at Rengeji, H.H. Dalai Lama's speech meeting, giving speech in CFO/CIO summit, lecture and dialogue with students in Osaka university, dialogue with Rev. Kajita at Honen-in, 1day seminar for Buddhist monks, an article on The Economist... 
These days, temples seems sworn by economy. I would say Japanese spirituality is gradually sworn by capitalism. Now I want to emphasize that Buddhism is the teaching that gets people detached. 
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お寺づくりの哲学 / Philosophy of temple management

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松本紹圭です。今日はお寺の女塾を東京で開催しています。
私の僧侶としての所属寺である光明寺の本堂を会場としていますが、私が得度をした10年前には、将来このような場が持たれることなど、考えもしませんでした。10年でお寺の世界もずいぶん変わってきましたね。

思い返せば、私がお坊さんになって間もなくの頃、書き溜めたブログがダイヤモンド社の編集者さんの目にとまり、『おぼうさん、はじめました。』という書籍として出版されました。書籍タイトルは神谷町オープンテラス店長の木原健さん、オビのコピー「赤門から仏門へ」は現在「未来の住職塾」を一緒に運営している遠藤卓也さん、表紙イラストの観音像はみうらじゅんさんという豪華ゲスト陣の協力のもと、若干25歳の若僧にも関わらず本を出させていただく幸運に恵まれたのでした。

キャッチコピーには生意気にも「坊さんは職業じゃねぇ、生き様だ!」と書いており、若気の至り以外の何ものでもありません。当時、僧侶になったばかりでずいぶん肩に力の入っていた私は、これからのお寺づくりについても「逆説的に言うならば、住職の仕事は法を説くことというより、仏の働きを邪魔しないこと」などと、これまた生意気にも語ってました。

でも、未来の住職塾を初めてから「これからのお寺づくり」についてずっと考えてきて、今改めて、住職の仕事は本当に「仏のはたらきを邪魔しないこと」なのかもしれない思うようになりました。それも、以前と違って"逆説的に"ではなく、文字通りそう思うようになりました。

仏教(仏道)をブッダになる道、悟りを得る道、生死出ずべき道として考えれば、お寺はその道を皆が歩む場ということになります。ではその道を「誰」が歩み、「誰」が歩ませるのか。信者が歩み、僧侶が歩ませるのでしょうか? 歩む先に開けてくるのが自他一如の仏の世界であるとすれば、その道を歩むのは本当に「私」なのかどうか、あるいはその道を歩ませるのは「私の意志」なのか「仏のはたらき」なのか、問えるものでもないと思います。

お寺がそこにご縁を持つ人にとって本当に仏道を歩む場として開かれてくるとすれば、それは多分に他力的です。もちろん、ここで言う「他力」は他人の力ではなく仏のはたらきのことですが、お寺の宗旨が他力の教えであるとかないとかは関係なく、仏道の先が自他一如の世界である限り、お寺という場が仏道の場として顕われる仕方は、他力的にならざるを得ません。言葉の響きに違和感があるなら、仏力的と言ってもいいと思います。

そう考えると、お寺の住職の役割というのは、お寺という場に集う人たちに仏のはたらきが遮られることなく100%発揮されるよう努力すること、と言えるのではないでしょうか。これはおそらく宗旨によらず、広くさまざまな宗派のお寺に当てはまることです。未来の住職塾では、お寺におけるリーダーシップの発揮の仕方を「周囲のよい"縁"となること」であると表現しています。その意味で、お寺はその場に関わる一人ひとりが自らのリーダーシップを磨く修行の場であるとも言えます。

では、そのように仏のはたらきが発揮された修行の場を預かる住職のリーダーシップとはどのようなものでしょうか。お寺という場に参画するあらゆる立場の人が、自分の居場所と出番を見つけ、自らが周囲のよい"縁"となっている実感を持てるような状況が出現する。そのとき住職が発揮しているリーダーシップは、「自分」の存在への執着から離れ、仏のはたらきと一味に溶け合うような、無私のリーダーシップではないでしょうか。

私は未来の住職塾を始めてから、全国を飛び回りながら宗派を超えて様々なお寺とご縁を持たせていただく一方で、自分がご葬儀やご法事等で日常的に檀信徒の方と直に接する機会が減りました。お寺とのご縁は広がりましたが、お寺づくりの現場への関わり方という点では、これまでよりも間接的なものになるのかなという若干の寂しさもありました。しかし、これからのお寺づくりを「仏のはたらきが100%発揮される場が開かれるための営み」と考えるならば、その営みに参画する仕方には直接も間接もないのかもしれません。私は私なりにできる仕方でお寺づくりに関わればいいんだなと思い、気が楽になりました。

これからのお寺づくりは「みんなのお寺」づくりであると、未来の住職塾でお伝えしています。住職、副住職、役僧、坊守・寺庭婦人、寺族、総代、檀家、地域住民、葬儀社、石材店、仏具店、あるいは私たち未来の住職塾のようなお寺づくりのサポーター、それぞれの人が自分なりの仕方でお寺づくりに関わる中で、その場に仏のはたらきが顕われてきます。そこには誰の手柄であるとか、誰が偉いというような話の出る幕はありません。もしかしたら昔はそのような場が顕われたところに、お寺という名がつけられてきたのかもしれませんね。

あなたのお寺づくりの哲学、ぜひ聞かせてください。 

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新しい法話のかたち / Developing new style in Dharma Teaching Session

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更新が1ヶ月ほど空いてしまいました。
振り返ってみるとこれまでの人生でも数えるほどの忙しさだったように思います。
先週、「伝わる寺報教室」のテキストが完成して、やっと一息ついています。

少しずつ振り返りながら書いていきたいと思いますが、
この一ヶ月で主にどんなことをしていたかといえば、

1. 新しいかたちの法話(北九州・西法寺さん)
2. お寺の女塾の開催(京都)
3. 「伝わる寺報教室」の立ち上げ(通信講座)
4. 講演会(東松山・浄泉寺さん、仏教壮年会)
5. 未来の住職塾本科講義(全国)

です。

まず今日は、
1. 新しいかたちの法話(北九州・西法寺さん)
について振り返ってみます。


半年ほど前、未来の住職塾 本科第二期に参加されている西村さん(北九州・西法寺住職)から秋彼岸の際に法話をお願いできないかとご依頼がありました。3日間、昼・夜・昼・夜・昼の五席をそれぞれ90分お話しさせていただくという、布教使としてもなかなか気合いの要るご依頼でした。ご相談の中で「せっかくの機会だから、ぜひ未来の住職塾として、新しいかたちの法座を共に作り上げましょう」と意気投合し、ふつうの法座とは違うものに挑戦することになりました。

そもそも「法座って何?」という方のために、少し説明します。お盆やお彼岸などお寺では季節毎に大きな行事に合わせて法要が勤められますが、その際に布教伝道活動としてよく法話の時間(法座)が設けられます。地域性や住職の方針によって法話の時間はさまざまですが、一般に1〜2時間の法座を期間中に1〜5席、開くことが多いのではないでしょうか。

そのお寺の住職自らがお話しすることも多いですが、さまざまな理由(高名な先生のお話しを檀信徒に聞かせたい、いつも住職のお話しだとマンネリ化してしまう、住職があまり法話に積極的でない、等)により、外部の布教使を招くことも一般的です。僧侶である限りは全員が布教使であるべきであるという議論もありますが、得意不得意はありますね。

では、どういう人が布教使をしているかというと、宗派によって事情はさまざまです。特に法話に力を入れている浄土真宗は、住職となる資格を取得した後に、専門コースが用意されています。修了後に布教使として名簿に登録したら、あとはご縁次第で少しずつ法座に呼んでいただけるようになります。お檀家さんが少なく自分のお寺だけでは生活が難しく、研鑽を積んで布教使専門で全国を回られるという方もおられます。実は私も布教使資格を持っていますが、お話しに呼んでいただくのはほとんどが「これからのお寺づくり」といったテーマで、いわゆる「ありがたい法話」ではなかなか呼んでいただけません。

布教使さんはどんな研鑽を積むかというと、まず布教専門コースで一通り「法話の型」を身につけた上で、高名な先輩布教使の先生がお話しされる機会を見つけては聴聞(法話を聴くこと)します。そして、自分の体験談なども織り交ぜながら、自分なりの法話の原稿を作り溜め、それを法座の現場で実演するのです。回数を重ねれば、自分の持ちネタとも言える法話が溜まってくるので、それを携えて全国をまわるようになります。

さて、西法寺さんの法座を引き受けるに当たって、私が挑戦したいと思ったのは「法座の意義を再構築する」ことでした。従来通りの法座のあり方は、ともすれば「布教使の持ちネタの発表会」になりがちです。もちろん、いいお話しは何度聞いてもいいものですし、外部の布教使さんにありがたいお話しをしていただくことは意味あることだと思います。しかし、長い目でお寺という「親から子へ孫へ法の伝わるコミュニティ」を見たときに、ほんの束の間の「今日の布教使さん、ありがたいお話しだったね」という体験は、実はそれほど重要ではないのではないでしょうか。

仏法がそれを受け取る人の「生きる意味」に影響を及ぼすような仕方で伝わるためには、やはり何を差し置いてもそのお寺の住職と長い時間をかけて築き上げた信頼関係、「この住職が言うんだから、自分も真剣に仏法に向き合ってみよう」と思えるような関係性を作ることが、何より大切です。布教使さんがどんなにいいお話しをしても、もし檀信徒が「住職はこんな講師を呼んできて悦に入っているようだが、自分は言ってることとやってることが違うじゃないか」という反感や疑念を常に抱いていたとしたら、ありがたいお話しも耳に入らないでしょう。

繰り返しますが、長い目で布教伝道において大切なのはひとときの「ありがたいお話し」ではなく、時間をかけて培った檀信徒と住職の「揺るぎない信頼関係」です。そう考えると、布教使の仕事は「自分が法を届ける」ことではなくて、「そのお寺の檀信徒と住職の間に、仏法が伝わる関係性を構築・強化することに貢献する」ことではないでしょうか。布教使がよその法座に自分の持ちネタを持参して披露し、法座の後に自分のお話しのファンが増えがことを喜ぶのではなく、事前に法座先の住職の思いや願いをヒアリングした上で法座の中身を組み立てて、法座の後にそのお寺のファン、住職のファンが増えることを喜ぶ。そんな、布教の脇役としての布教使のあり方を考えてみたくなりました。

というわけで、今回の法座の準備に当たって、西法寺さんには未来の住職塾講師の井出さんと二人で事前に現地までお伺いし、ご住職や寺族の皆さんの思いや願いをヒアリングしました。法座のために二人がかりで事前に現地訪問するというのは珍しいことで、そのためにわざわざ東京や京都から北九州まで日帰り出張したことにも少々驚かれましたが、特に今回のように新しい試みの初回には、いくら丁寧にやってもやり過ぎるということはありません。一通りお話しを伺い、当日のイメージを膨らませました。

今回はちょうど、西法寺さんが未来の住職塾で「お寺360度診断」を実施された直後だったので、その結果をお話しの中に差し込みました。お寺360度診断というのは、檀信徒をはじめお寺を取り巻くさまざまなステークホルダー(有縁の人々)に、そのお寺をどう思っているかアンケートで答えていただくものです。普段なかなか得られない率直なコメントをもらって、お寺の運営を改善するために活用していただいています。西法寺さんはとりわけ評価が高く、よいコメントが多かったため、「課題」を取り上げるのが難しいくらいでした。

90分の法座の組み立てとしては、最初に短めのお経を皆で読経した後、私が「お彼岸」に絡めたお話しを導入としながら、「親から子へ孫へと願いをつなぐコミュニティ」としての西法寺に参詣者の意識を向かわせました。そして、お寺360度診断のコメントなどを引用しながら、西法寺がどのような人の願いによって成り立っているのかを共有。最後に、西村住職が登場し、どんな思いでお寺を守っているのか、これからどんなお寺にしていきたいのかなど、住職の思いや感謝の気持ちを檀信徒に手紙として読み上げました。お話しを聞く檀信徒の方の中には、手を合わせながら住職のお話しを聴く方もいらっしゃり、本堂内に静かな感動が広がった感覚がありました。

まだまだ工夫の余地はありますが、初回としてはひとまず成功と言ってよい手応えを私としては現場で感じました。しかし、この新しい試みの成果は、法座が終わった後に「布教使のファン」でなく「お寺のファン、住職のファン」がどれだけ増えるかにかかっています。西村住職からその後の反応なども伺いながら、今後もこの「新しい法座のかたち」の研究を進めていきたいと思います。

写真は西法寺さんの納骨堂。グッドデザイン賞も受賞された、とてもオシャレで機能的、かつ豊かな宗教性も感じられるとても素敵な納骨堂です。

西法寺の法座期間中、未来の住職塾第二期生の遙山さんが佐賀から、田口さんが大分からはるばる訪れてくださいました。西法寺の皆様にも滞在中は隅々までお心遣いをいただき、ありがとうございました。この場を借りて、感謝を申し上げます。

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I have been very busy last one month. What I have done are below, Developing new style in Dharma Teaching Session, Opening Seminar for women in Temple, Launching "Online seminar, How to make news letter in temple" and so on.
In developing new style of Dharma teaching session, I wanted to shift the purpose of traditional Dharma teaching in Japanese Buddhism from "Give nice talk and make my follower" to "Assist head priest and make his follower".
The photo is Indoor Cemetery which won Good Design Award.
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Shoukei MATSUMOTO
>>Profile Born in 1979 in Hokkaido, after the graduation from The University of Tokyo, Keisuke Matsumoto has worked in Komyoji Temple Tokyo for 7 years. As a head of Young Buddhist Association of Komyoji Temple, he launched new initiatives like Temple Cafe Project and Twilight Music Festival. After studying MBA in India, he is teaching "Temple Management" in Japan.